こんにちはミヨです。
ミナミAアシュタールさんのブログから今日はこちらをご紹介します。
〈ここから〉
距離感の取り方はそれぞれです。
2021-05-15 17:00:08
テーマ:フツーの世界の・・ホント??
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私は発達障害の児童が学校後、宿題をしたり、
公園で活動するのを支援する仕事をしています。
超次元ライブを見るようになり、
私の支援は児童の個性を潰してるのか?と自問自答している日々です。
集団活動が苦手なだけで、個々の個性は
とても素晴らしい児童ばかり。
学校という集団に属することが苦手なだけ。
それはピラミッド社会でいうと、会社に属せない、
税金を納められないと認定されているだけなんだろうと思っています。
私はいつも児童の個性クリエイティブ
(アート的な)なところを伸ばすことができれば、生活できると信じてます。
そのためのツールを教えてあげたいと思っていても、会社の支援理念で限界があるのも事実です。
前置きが長くなってしまいましたが【干渉】について質問させて下さい。
発達障害の児童は、知ってる正義、正しさを教えてあげようと、他児に執拗に関わってケンカになります。
私達はそれを干渉だよと教え、それは先生(スタッフ)が伝えることたから、しなくていいと教えています。
しかし考えれば考えるほど混乱して、発達障害と定義されている
児童たちにとっての干渉がわからなくなりました。
教えて下さい。よろしくお願いします。
・・・というご質問をいただきましたぁ~^0^では、アシュタール、よろしくお願いします^^
「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。
まず最初にお伝えしたいことは、発達障害の児童という目で見ないでくださいという事です。
発達障害の児童、病気の子、社会に適応できない子、特殊な子という目で見てしまうとその子をしっかりと見ることが出来なくなってしまいます。
発達障害という病気はありません。
それはこの方も書いていらっしゃるように集団になじめない、学校という支配的な制度に従えないというだけの事です。
それは個性です。
病気だとか、何か能力が欠けているなどと言う事はないのです。
そして、子どもはいろいろ経験しながらわかっていくのです。
人との距離感も経験しながらわかっていくのです。
距離感の取り方はそれぞれです。
そして、人によっても違います。
あまり人と密接にかかわりたくない個性もいれば、
密接にかかわりたいと思う個性もいるのです。
密接にかかわりたくないと思う人は同じように密接にかかわりたくないと思う人と合うのです。
密接にかかわりたくない人と密接にかかわりたいと思う人は合わないという事なのです。
分かりますね。
気が合う、気が合わないということと同じです。
距離感の取り方の合う人と一緒にいればお互い楽しくなります。
その距離感の取り方、距離感の合う人と出会うためにもいろいろな体験が必要になるのです。
これはすべての人に言えることですね。
ですから、放っておいてあげてください。
大人がそこでそれはいけない、その距離感はダメですと言ってしまうと、その子は自分で距離感を取る方法が分からなくなってしまいます。
放っておいてあげれば、いろいろな経験をして自分の中の距離感の取り方が分かるのです。
自分の知っている事を教えてあげたいと思うのは子どもだけではありませんね。
自分が正しいと主張したがるのも子どもだけではありませんね。
そこに発達障害児という視点が入ってしまっているので
ただただ干渉していると思ってしまうのです。
子どもは(大人もですが)自分の事を知ってもらいたいと、理解してもらいたいと思います。
その方法がまだよくわからないだけの事です。
自分と他人の距離をどうとっていいかわからないのです。
ですから、何度もお伝えしますが放っておいてあげてください。
自分で考え、自分で自分なりの距離感を覚えますので放っておいて上げてください。
そこにその距離感は違います、こうしなさいという事が干渉になります。
自分がどうしていいのか、人とどう距離を置いていいのかが
分からなくなってしまいます。
発達障害児だから・・ではないのです。
距離感を早くにつかめる人と、どうやって他人と気持ちよい距離を保てばいいか悩む人がいるのです。
それは個性なのです。
そして、発達障害児だから社会で生きていけないなどと思わないでくださいね。
そして、だから何かクリエイティブなところを伸ばして上げなくてはなどとも思わないでくださいね。
放っておけば自分で好きなことを見つけます。
(これはすべての子どもと同じです)
そして、はっきり言ってしまうと、発達障害児という視点が彼らには一番つらい事です。
言葉に出さなくても周りの人たちが、この子たちは発達障害児だからというエネルギーを出すと、それが子どもたちにもわかります。
自分は病気だ、かわいそうな子なんだ、社会的にダメな子なんだ、将来心配な子なんだ、大変な子なんだと思い込んでしまいます。
そして、自分で殻に閉じこもってしまう事にもなってしまいます。
子どもたちとどうかかわっていいか分からないと思うならば、
まず障害児という視点を外してください。
そして、彼らを信頼し放っておいてあげてください。子どもは自分で考える力を持っています。
そのパワーを奪わないでください。
子どもの力を信じ、手や口を出さず、見守っていてあげてください。
あなたに愛をこめてお伝えいたします。」
ありがとう、アシュタール! 感謝します。
〈ここまで〉
こちらから転載させていただきました
M-O-M11
ミナミAアシュタールさんありがとうございました
感謝します。
私たちは生まれた時から支配、コントロールの
レールの上で、知らず知らずのうちに刷り込まれた概念の中、人の目を気にしながら生活をしているのだと思います。
生きていく上では、知識や知恵をつけるための、
そういった場所は必要なのかも知れませんが、
今のように支配者、権力者が、自分たちにとって
都合のいい教育を刷り込むための学校をつくり、
さまざまな “型にはめる場所“ を
意図的に作ることで、個性を特別扱いするような、そんな現状が出来上がってしまってるのだと
思います。
たくさんの個性が、この世界を楽しむために、
それぞれの個性がそれぞれの表現を楽しむために
生まれてきているのだから、
すべての人が個性いっぱいに輝いているのは
極極しぜんなこと。
もしすべての人が、支配、コントロールの無い、
しぜんなままの地球(テラ)にそのまま誕生していたのなら、
すべての人は自分の好きな場所で、自分にとって居心地のいい人たちと、ふつうに楽しく暮らして
いるんだろうな。
だから人との付き合い方や距離の取り方も
誰もお咎めする事も無く、その人のやり方で
しぜんに身につけていくものなのでしょうね・・。
ものごとが自然に流れていないところに
違和感を感じることができれば、
そこから離れる方向に進んでいける、
大きな大きな一歩になると信じています。
(ミヨ個人の感想でした)
ミナミAアシュタールさんの書籍をご紹介します
世の中は支配者、権力者が庶民からお金、時間,エネルギーを搾取するために都合のいいピラミッド型をしている社会です。
私たちは好きなことを楽しむために生まれたはず。
毎日働きずめで、ただ生きるために生まれてきたワケじゃ〜ありませんよネ。
こちらの本には、なぜ私たちが好きなことが普通にできにくくなっているかの真実が書かれています。
そして好きなように方向転換できるヒントを手にすることができます。
縄文を創った男たち~信長、秀吉、そして家康~下巻 縄文を創った男たち ~信長、秀吉、家康~
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夢を叶えたいなら、その夢に「名前」をつければいいんです。 (リンダパブリッシャーズの本)
他人の引き寄せ体験ほど役に立つものはない。3000倍、引き寄せる。2 (リンダパブリッシャーズの本)
こちらの書籍はとてもユーモラスで楽しく、日常生活にすぐにでも活用できる
人生を大逆転させるヒントが満載です。
現在は在庫切れになっているようですが、今月5月の末から来月の6月の頭ぐらいに、シリーズ本として新しく発売されるそうなので、ぜひぜひオススメしたいと思います!
ミナミAアシュタールさんのYoutubeをご紹介します。
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M-O-M11