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家族は他人です。(ミナミAアシュタールさんのブログから)

こんにちはミヨです。

ミナミAアシュタールさんのブログから今日はこちらをご紹介します。

 

〈ここから〉

 

家族は他人です。(ミナミAアシュタールさんのブログから)
2019-02-24 17:00:13
テーマ:フツーの世界の・・ホント??
 https://ameblo.jp/kuni-isle/entry-12442371546.html

 

世の中のお悩み相談的なものを見ていると、家族に関しての相談、愚痴?が多いんですよねぇ~~

確かに、私も家族には振り回されます(苦笑)

(私ももしかしたら振り回してるかも???)

夫婦間、親子間、そして嫁姑問題・・・家族って大切な、そして大好きな人たちだと思うんだけど、どうしてこんなに悩ましい問題ばかり起きてくるんでしょうねぇ~~^^;

 

では、今日のアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^

 

「こんにちは こうしてお話しできることに感謝します。

個人であることを忘れてしまうからです。

家族は他人です・・というと、また他人とはどういうこと?なんて冷たい言いかたをするの?・・という怒りのエネルギーが飛んできますが・・

でも、他人なのです。自分ではない人・・他人です。

そのことを忘れてしまうから、いろんな問題が起きてくるのです。

そして、立ち場ですね。立場・・どちらが上だの、下だの・・という考え方です。

たとえば、嫁姑という立場です。

嫁・・としてみるから、姑・・としてみるから、色眼鏡?で見てしまうことになるのです。

色眼鏡・・世間の常識?概念?です。

嫁と姑は上手くいかない・・という刷り込みがあるのです。

テレビや映画などで、知らないうちにもともと嫁と姑は関係が悪いものと刷り込まれてしまっているのです。

(特に、嫁は家に嫁いできた・・という考えが強く刷り込まれています)

だから、最初からそういう思考でお互い接しますので、どうやって良い関係を作り上げればいいか分からなくなってしまっているのです。

そして、マニュアルのような言葉のやり取りになります。

言っている意味が伝わっていますでしょうか?

ある意味、仲良く出来ないように思考操作されているのです。そこには、他人という感覚が薄れてしまっています。嫁だから、姑だから・・という視点でしか見れなくなってしまうのです。

嫁?姑?などという立場はまったく関係ありません。ひとりの個性と、ひとりの個性・・それだけです。ムリに関係を持とうとする必要はないのです。

息子は息子です・・そして、息子のパートナーは息子のパートナーなのです。

息子のパートナーである人を、自分のテリトリーの中にムリに入れようとしてしまうからおかしくなるのです。

息子のパートナーも、ムリにそのテリトリーに入らなければいけないとムリをするからおかしくなるのです。

他人です・・それを忘れてしまって、お互いのテリトリーに入れなければ、入らなければいけないと思ってしまうから疲れてしまうのです。

他人として、お互いが何の関係(息子の関係など)なく、この人が好き、友達になりたい・・と思えるならば良いのですが、息子を介してムリに付き合おうとするから、お互いコントロールのエネルギーが出て、ご機嫌さんな関係を築くことが出来ないのです。

息子がいなければ付き合わないな、夫の親でなければ付き合わないな・・と思いながら、ムリに付き合おうとするからしんどくなるのです。

そう思うということは、合わないということです。

合わない人とムリに付き合おうとするから、問題が起きてくるのです。

息子は息子、娘は娘・・そのパートナーは親には関係ないのです。

そう考えた方が、スムーズないい関係を築くことが出来るのです。他人なのです。

いま、あなた達の関係においてとても悩ましい嫁と姑ということを例えにしましたが、すべての家族の関係も同じです。

夫も妻も、子どもも、親も、親せきも・・みんな他人なのです。あなたではありません。

そこを忘れてしまって、家族という言葉によって、あなたと同化させて考えてしまうから、問題が起きてくるのです。

他人にならば言わない言葉、しない態度を、家族にはしていませんか?

それは、家族は自分と同じだと考えてしまっているからです。

同化してしまっているから、何を言ってもいい、何をしてもいい、自分の思い通りにしたいと思ってしまうのです。

家族の気持ちを考えることが出来なくなってしまうのです。

そして、家族のことを低く評価してしまうのは、自分に対しての評価が低いからです。

夫のことを人に低く言っている人がいますが、それは謙遜ではありません。

夫は他人です・・その他人を自分が謙遜するのはおかしなことです。そうですね。

でも、夫は自分と同じ・・と同化させてしまっているので、自分と同じように謙遜と称して低く言ってしまうのです。(もともと謙遜などいうこと自体が必要ないのです)

自分を低く評価することは、自分にとってとても失礼なことです。

ましてや、自分ではない他人を低く評価して人に言うなど、とても失礼なことです。

自分が好きで一緒にいたいと思っている人を、低く評価するというのはとてもナンセンスですね。

そのパートナー(夫、妻など)を尊敬し、尊重し、感謝しているから一緒にいるのですよね?

ならば、そのように素直に他の人にも伝えてください。わざわざ低く言う必要はありません。

悪口を言う必要はないのです。

謙遜など、まったくいりません。

そこには、自分のセルフイメージの低さも関係しているということを理解してください。

子どもを謙遜して人に話をするときも同じです。

家族は他人が集まっているのです。

個人、個人がそれぞれにお互いを尊重し、尊敬し、その存在に感謝しながら一緒に暮らす・・そうすれば、とても楽しい生活になります。

それを忘れてしまい、自分と同化させて考えてしまうから、コントロールしたくなりいろいろな悩み、問題が起きてくるのです。


あなたに愛をこめてお伝えいたします。」


ありがとう、アシュタール!感謝します。

 

〈ここまで〉         M-O-M11

 

https://ameblo.jp/kuni-isle/

http://5am5.blog.fc2.com/
から転載させていただきました

 

ミナミAアシュタールさんありがとうございました。

感謝します。

 

『愚息』という呼び方があるけれど、これは

自分の息子を他人に紹介するときなどのへりくだった言い方だと思っていましたが、本当は次のような意味でした。⬇️

 

「愚息」の使い方と例文
「愚息」は決して「私の息子は愚かである」と悪口を言っているのではなく、「おろかな自分の息子」「馬鹿な自分の息子」という意味で、謙虚・謙遜を表しています。

 

自分の息子のことを愚か呼ばわりするなんて…って

嫌悪感を感じていたので、本当の意味を知り、ちよっとホッとしたところでしたが

『おろかな自分・・』とか

『馬鹿な自分の・・』など、結局この何とも不本意な言い方は変わらないじゃないの〜〜って思います。(笑)

(むしろもっとヒドイかも(^^;)

 

思考が現実をつくる以上、こんな言い方ばかりしていたら、みんな自分を嫌いになってしまうことになりかねないと思うのだけど・・。

 

アシュタールが言われるように、謙遜なんて耳障りなだけだと思うのです。

 

『あなたは私、私はあなた』

この世の命はすべてひとつからなっているのだから

自分を貶めるということは、すべてを貶めることになってしまう。

そんな失礼なことはしたくないですね。

 

外で謙遜することの反動が、余計に身近な家族や同じ組織の人を同化して考えてしまうことにも繋がってるんじゃないのかな〜。

 

最初は抵抗あっても、少しずつ近しい人同士でも

褒め合えるようになれたら素敵ですね。

 

 

 

ミナミAアシュタールさんのご本の紹介です🌟

 

新・日本列島から日本人が消える日(上巻)

縄文を創った男たち~信長、秀吉、そして家康~ 上巻

新・日本列島から日本人が消える日(下巻)

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3000倍、引き寄せる。 (リンダパブリッシャーズの本)

他人の引き寄せ体験ほど役に立つものはない。3000倍、引き寄せる。2 (リンダパブリッシャーズの本)

引き寄せの口ぐせ

 

 

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