目からウロコなおはなし

ハートの声に耳をかたむけると

ミナミAアシュタールさんのブログやご本から アシュタールとさくやさんのメッセージを転載してお届けします  

寺子屋と学校の違い・・^^(ミナミAアシュタールさんのブログから)

こんにちは miyoです。

ミナミAアシュタールさんのブログから今日はこちらをご紹介します。

 

〈ここから〉

 

寺子屋と学校の違い・・^^

https://ameblo.jp/kuni-isle/entry-11886515343.html
2014-06-30 11:24:12
テーマ:フツーの世界の・・ホント?

 

昨日の ライブトークセッションで とても面白い(興味深い)ご質問を

頂きました・・・ご質問頂き ありがとうございました^0^

そのご質問の内容は 江戸時代の寺子屋と今の教育制度(学校)の

違いについて教えてください・・とのことでした。

このご質問に着いて ご参加いただいた方だけでなく 多くの方にも

知ってもらいたい・・ということで さくやさんが今日のメッセージにして

くれましたのでお伝えします^^

寺子屋 と 今の教育制度(学校) の違いねぇ~~・・

たくさん話したいことはあるけど・・まず 日常に必要なことを教えているか、

いないかの違いが大きいわよね。

寺子屋では 日常に即必要とされることだけを教えていたから 子供たち

(時々大人も混じって習っていたわ)は、習う目的がはっきりと分かっていた。

だから 楽しんで勉強することが出来たのよね。


江戸時代の庶民は ほとんどの人たちが 字は読めるし 計算も出来たわ・・

これは 寺子屋という存在が大きかった。

そして 庶民が字が読め 計算することが出来ることを 進んで奨励していた幕府も

素晴らしいわよね・・そこから 大きな日本独特の文化が花開いたんだから。

その頃の 他の国々では ここまで庶民の文化が花開いた国はなかったわ。

貴族たちの中での文化はたくさんあったけど 庶民が文化を持っていたところは

そうそうないわよね。

だって 庶民に学問を許しているところが まずなかったから・・・

なぜなら 庶民に学問をつけてしまうと 自分たちに反抗し始めるのではないか・・

という危惧を感じ 庶民に何も教えないことで 知識を一部の人間だけのものに

していたって事なのよね。


そして 今のあなた達の教育制度は・・・必要なことを教えるのではなく、ただ

平均的な ロボットのような人間を育てることに重点を置いているの。

こんなこと 知って何になるの?・・日ごろ 絶対に必要ないでしょ・・って思うような

ことばかり教えられても つまらないだけよね。

だって 使うこともないものを 無理やり押し付けられてもねぇ~~ってなるでしょ?


それも 朝から晩まで ず~~とつまらない話ばかりを聞かされて その間 ず~~っと

おとなしく座っていなさい・・って言われて ご飯食べるのも お手洗いに行くのも

自分の身体の欲求を無視して 時間で決められ その時間にすませなさいと言われ、

疲れたから身体を動かしたいと思っても 時間以外に立ち歩いたら 叱られ ひどい時には

多動症?とかいう病名までつけられ 薬を飲まされる・・


挙句に その苦行のような一日(学校)が終わった後まで 宿題だの塾だので 自由な

時間は奪われ 好きなことをすることが出来ないでしょ?

これが 1日2日ならいいわよ・・・この自分にとって意味の分からない苦行が この先

ず~~と続くのかと思えば そこから逃げ出したくなるのが普通じゃない??

でも この社会は逃げることさえ許してくれない・・本当に 子供たちは大変よね。


子どもはね(もちろん 子どもだけじゃないけど) 自分の好きなことに対しては

ものすごいパワーを発揮するのよ。

好きなことが見つかれば もうやめなさい・・って言っても 知識を求めて 

どんどん突き進んでいくものなのよ・・

だから 勉強しなさいって言っても ちっともいうことを聞かないで 勉強しないで

遊んでばかりいるんです、困ったものです・・というけれど それは 子供たちに

興味を持たせることが出来ない まわりの大人たちの問題だって事に気が付いてちょうだい。


寺子屋は 短い時間で終わってたから そのあとの時間は好きなように 好きなことをして

過ごすことができたの・・親の手伝いをして 実際に習ってきたことを役立てる事もあった。

生活に必要なことだけを教えていたから そんな長い時間 子どもたちを拘束する

事も必要なかったってこと(笑)


でも 読み書き 計算だけじゃ 科学?とかは発展しないんじゃない?

建物とか作るにも 物理とか なんとかかんとかの知識は必要なんだから 生活には

必要なくても その基礎となる知識は教えなければいけないでしょう?・・

という意見もちらほら聞こえて来るけど(笑)・・・


人には 好き嫌い、得手不得手があるって事を思い出して(笑)

物理が好きな人は 物理を習えばいいし 語学が好きな人は語学を習えばいい・・

物理が苦手で 面白さを感じない人にまで 椅子に縛り付けてでも教える必要が

あるのかしら?


そして 江戸時代には 物理だの 科学だの 今でいうような学問は寺子屋では

教えてないけど しっかりとした建造物はあったでしょ・・それはすごい技術だわ。

橋なども 釘一本使わないで組み立て方式で造っているものもある・・

これは 物理学?何とか学?が 進んでいると言われているあなた達の社会の技術でも

つくりことが出来ないのよね・・・江戸時代が 今より劣った文化だとは言えないでしょ?


それは 橋を作る事が好きだと思える人が その分野のスペシャリストとして誇りを

持ってしていたから・・・本当に好きだから どんどん研究に研究を重ねて 素晴らしい

技術を確立していったの・・・机上ではなく 身体で覚えた知識なのね。

そして その橋を見て 自分もこんなのを作りたいと思った子供が そのスペシャリストに

習って その技術を伝承してもらい そこからまたその子が体験して得た知識を使い

次のものを作っていく・・・


それでいいんじゃないかしら?

橋を作りたいと思う人が 橋に関して勉強する。

美味しいお饅頭を作りたいと思う人が お饅頭の作り方を勉強する。

みんなが 好きなことを勉強して そのスペシャリストになっていく。

そして それをみんなで提供しあう・・・


無理して 今の様に好きでもない事を無理に習う必要はないのよ。

好きなことをしていれば 人はすごいパワフルになれるのよ。


そして 寺子屋は 少人数でやっていたわ・・・

小さな寺子屋が たくさんあったの。

今のように 大きな建物の中に 大勢の子どもたちを集めるということはなかったから

指導者は 子どもたち一人ひとりに目を向け しっかりと向き合うことができた。

そして 学年もない・・年齢で分けることもしなかった。

ひとつの寺子屋で いろいろな年齢の子が一緒に学んでいたの。

だから 先に始めた子は 後から始めた子に自分の知っていることを教える・・という

事をしていた・・それは 教えることで また自分も学ぶことが出来るという利点もあったわ。

年齢に関係ないから 先に始めた子供が自分より小さくても 

教えてくれる子供に対して尊敬の気持を忘れなかった・・・・

あと テストなどという 本当に意味のない つまらないものもなかったわ(笑)


ずいぶん 長くなっちゃった(笑)

もっともっと 話したいことがあるんだけど 止まらなくなるから今日はこの辺で

やめとくわね(笑)


教育制度について もう一度考えてみてね。

この話が出来る質問をしてもらえたこと そして 長くなったのに最後まで

読んでもらえたことに 心から感謝してます。 


あなたを 心から愛してるわ~~~」


ありがとう さくやさん!

私たちも あなたを心から愛してるよ~~~^0^

 

 

ここまで             M-O-M11

 

 

 

 

 

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